謎を解くの弱点は?

11 今回の「謎を解く」の論証の、いちばん弱いところはどこでしょうか?

この論考は、結局の所、具体的な「モノ」、つまり『百人一首』について、藤原定家やその息子為家、あるいは蓮生が、その成立事情について述べた、直接的な証拠物件を持っていません。
この論考は、『明月記』という藤原定家の日記の記載や、たまたま書写されて残った稿本『百人秀歌』(その撰歌と付け加えられたコメント)を分析して推論し、結論を出したものです。特に、『百人秀歌』に撰歌され配列された和歌の分析が革新になっています。その一方で、この論を直接裏付ける物証、たとえば定家の消息(手紙)とか、為家の書いた顛末記とか、第三者が筆写した本に書き付けられた記録とかが、ありません。
筆者の論は、これが殺人とかの刑事事件だったら、公判を維持できるかどうか、ギリギリの所かもしれません。状況証拠ばかりなのです。とはいえ、証拠がないのは、すなわちこれが錯誤であると言うことを意味しません。これがマチガイであるとするのだったら、「別のスジ(犯人)を出せ」、と言いたいところです。
あげたようないくつもの「謎」について、これが秀歌撰だとしたら説明しにくいというのは事実です。この「謎」は、筆者ではない多くの人が指摘していることも含みます。神祇釈教の歌や賀歌の欠落については筆者の独自の指摘ですが、『百人一首』がもともと蓮生の障子和歌として撰ばれたものだったからこうなった、という筆者の解以外の解が提案されたら、それとの比較検討をしてみたいのです。
もしかすると、筆者の見落としている巨大なシクミ、あるいは盲点があるのかも知れません。対論をお待ちします。