高まる地元志向の中で

2016年3月4日

今年一月から、地元の茨城新聞で紙面批評をすることになった。月一回で六月までである。担当は二人で、一人が各月の前半、もう一人が後半を担当する。私は後半である。既出のものをここに貼って行こうと思う。まずは一月後半の記事である。

 

昨年末から茨城新聞を読むことが日課になった。実に楽しい。それはニュースが肌感覚で伝わってくるからだ。全国紙には読み手を日本全国や世界の現場に目を向けさせる「知」の力がある。しかしそれは頭の中だけですぐに冷めてしまう。ところが地元の新聞には、「肌」にひりつくような感覚があって、これがなかなか冷めない。例えば「わらづと納豆危機」(19日)「「漆」振興、県後押し」(21日)「原発事故想定、広域避難、初の協定へ」(22日)などが紙面のトップを飾る。食・工芸・災害と硬軟取り混ぜた内容は、直接的に「胃」や「指先」に、そして東日本大震災の恐怖感を伴いながら体全体の「肌」へと伝わる。

かつて中村雄二郎という哲学者は、近代になって人間がダメになったのは、視覚ばかり使って他の五感をおろそかにしてきたからだと説いた(『共通感覚論』1979年)。五感に響く情報は全国紙ではなく地元紙にこそ可能である。

その肌感覚が作用しているのだろう、茨城の若者は今、地元志向である。筆者の勤務先の大学生に茨城は好きかと尋ねると多くが「好き」だと答える。その理由は様々で、積極的に「茨城のココが好きアレがいい」と言うのもあれば、消極的に「東京が怖い」「世界は危険」というのもある。この現象の背景に、筆者は若者のテレビ離れがあると感じる。スマホを使ったラインやフェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング:サービス)で若者は地元の友人と結び付いている。そこで流れる情報・意見は「××に素敵なレストランが開店」「常磐線になぜ女性専用車両はないのか」など肌感覚のものばかりである。それに比べテレビは大都市中心の情報でピンとこない。テレビ全盛の時代に地元志向が育たなかったのも当然である。

とすれば、この若者の地元志向を新聞が逃す手はない。若者向けの情報をガンガン流すべきである。その点で県の商工会議所と芸人が協力した「ご当地プリンCMに―ひたちなかを全国発信」(16日、県央)、筑波大の学生取材による「大学の軍事研究、学生600人調査、「賛成」が「反対」を上回る」(31日、地域総合)など時宜を得たものでもあり良かった。さらに若者を呼び込むのであれば、ホームページ(HP)の充実も欠かせない。デジタルと新聞、かつては競合関係が心配されたが、それは昔の話で、今は十分に相乗効果が望める。あののぞき部屋のようなスマホ空間と、開放感ある新聞紙面は全く別世界だからだ。そのためにも、大切なのはHPの充実である。NHK朝ドラ「あさが来た」の加野銀行のモットーではないけれど、まずは信用・信頼である。若者はそのHPで信用度を測る。

新聞は速度と共に充実した情報提供ができる点に価値がある。「那珂川の舟大工・峯岸進の技術」(17日、日曜版)はそうした意味で素晴らしかった。日本が技術大国になれた下地に江戸時代から続く職人の技術があったことは周知のことだが、茨城にもたくさんの優れた職人や技術があったことが分かる。かつて茨城に足しげく通い、その風景を新版画(大正・昭和の版画)に遺した川瀬巴水は、船大工が作った小舟を多く描き出している。今年はその新版画が生まれて百年に当たる。こうした記事を今後も切望したい。

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染谷智幸(そめや・ともゆき)俳号は獄雨、切枝凡

専門は日本文学(江戸時代)、日韓比較文学

写真(著者撮影)はイスタンブールのアヤソフィア大聖堂に遺されていた海賊の落書き。

何と書いてあるのか、まったくわからん。