完調日記4
完調日記4 (2010/05/10)
ひきつづいて、可愛い子には背伸びをさせろ! である。
前回、かの有名なアインシュタインの言葉を紹介しましたね。
このケッタイな爺っちゃんに、すっかりハマってしまった私は、高校に入ってから、このアインシュタインについての本を図書館でずいぶんと読みました。
そうしたら、よく判らないけど、とにかく面白いんですね。
それで結局、読み続けていくうちに、
あの、特殊相対性理論も、一般相対性理論も、
高校生で、けっこう理解できるところまで行っちゃったんです。
その後、文学の教師になってしまいましたから、このときの知識は、いま、ほとんど役に立っていませんけど、本を読むことの楽しさ、物事を考えることの楽しさ、先人たちの偉大さは、このとき学びました。
いま、振り返って良かったなぁと思うのは、アインシュタインのような、
大きな存在、高い存在に、訳のわからないまま、まるごとぶつかったことです。
よく、年齢や環境に合った読書ということが言われますね。
小学生にはこうしたものを、大学生にはこうしたものを、と。
これ、大切なことでもありますが、
実は、読書において一番大事なことが抜け落ちてしまう危険性もあるんです。
つまり、読書というのは本と自分との出会いだとすれば、
その出会いには様々あって良いわけです。
優しい人との出会い、恐い人との出会い、冷たい人との出会い、凄い人との出会い・・・。
アインシュタインとの出会いとは、私にとってこの凄い人との出会いだったわけです。
ところが自分の身の丈に合った読書なんてことになると、
いきおい優しい人との出会いばかりになっちゃうでしょう。
それでは人生も読書も面白い世界ではなくなります。
たまには凄い人、恐い人に出会って、面食らったり逃げ出したりしないといけません(笑)。
だから、小中学生であっても、たまには難しい本にチャレンジする、つまり、思いっきり背伸びをさせると良いんです。
アインシュタインでもニーチェでもシェイクスピアでも・・・。
訳がわからなくても、意味がわからなくても、心に残るということはあるんです。
その残ったものが気になると、何かが始まるように思います。
(昨今、齋藤孝氏などが『声に出して読みたい日本語』草思社、などで強調されているのも、こうしたことです)
そうした 運命的な出会いを生むのが図書館 だと思います。
だから、図書館には、
「いやぁ、よく来たねぇ、偉いわよ」と言ってくれる優しい本と同時に、
「お前のようなヒヨッコは百年早いわ。さぁ帰った帰った!」と言う頑固親父のような本、
もあって欲しいですね。
別の例をあげると、よくスポーツ選手が最初の試合で凄い選手にコテンパンにやられて、
悔しくって猛練習したっていう話があるでしょう。
読書も同じことがあって、書き手からコテンパンにやられることがあるんです。
でも、読書は見物人が居ませんから、やられたことに気付かないばかりか、理解できないことを書く方が悪いと居直ったりできるんですね。
吉本芸人の池乃めだかさんが、コテンパンにやられた後「今日はこれくらいにしといたるわ!」って言うギャグがありますね。あれ、なかなか意味深なギャグですよ。
だから、本当はそんな勝手な居直りを許さない人が近くに居て、
大阪弁で「おまえ、こんな本もわからへんのか、ぼけ!」
と言ってくれる人が居ると良いんですね。
この愛情のこもった「ぼけ!」に、教師の役割の一つがあると私は考えています。
染谷智幸(そめや・ともゆき)所属は文学部文化交流学科
専門は日本文化・文学(江戸時代)、日韓比較文化・文学
ご存知、まことちゃんの「ぐわっし!」。背景はハナニラの花である。