獄雨の完調日記 7

2015年9月15日

ブルーモスクと青い空

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イスタンブール(トルコ) → ヘルシンキ(フィンランド)→ タリン(エストニア)に行ってきた。

 

今回は大学の授業の一環として、学生を連れての異文化体験で、相当に疲れたが、それ以上に勉強にもなった。

 

今回のハイライトはやはりイスタンブール。

本来の旅の予定は、イスタンブールではなく、ロシアのサンクトペテルブルグで、世界の四大博物館の一つ、エルミタージュ美術館や、世界最強の女帝と言われたエカチェリーナⅡ世の至宝を見て回る予定だった。しかし、いま日本とロシアはウクライナをめぐる微妙な関係でビザが取りにくいということがあり、急遽、イスタンブールに旅先を変更したという次第。

ところが、このイスタンブール、件の国境地帯の紛争などから、種々に情報が錯綜し、参加を予定していた学生からは、親に反対されたとのことで辞退者続出、一時は旅行自体が危ぶまれもした。

 

そんなことがあったので、今回は行く前に相当に調査もし、トルコに詳しい知り合いに話を聞くなどして準備をした。そうしたらネガティブな情報ばかり、いま中東で一番危ないのがイスタンブールで、トラム(市内電車)や地下鉄が狙われているとか、成田~アタチュルク(イスタンブール空港)便にプラスティック爆弾が仕掛けられ、イスタンブールには過激派の連中が大量に流れ込んでテロを狙っているとか。。。

 

調べれば調べるほど、私自身の方が心配になるようなことばかりであった。

 

ただ、変なのは観光客はほとんど減っていないんだね(笑)

ということで同行の先生とも相談し、とにかくアタチュルクまで行ってみて、それで危なそうだったら、空港近くのホテルに宿替えし、ホテル内でトランプ(大貧民)でもして遊んで(笑)、ヘルシンキへ行こうかと。学生側にもそう伝えて了解を得た。

 

それで行ってみたら、情報とは大違い。何てことはない。

日本では、いま絶対に行かない方が良いと言われているトルコ東部にも観光客が流れ込んでいて、とある国のツアコンの方は、やっと客が戻ってきたと言って喜んでいる始末?。イスタンブールもすこぶる平安で何のピリピリ感もなし。ブルーモスク(上掲写真)の周辺では多くの子供たちが遊んでいて、どこの国の都市とも変わらぬ日常が繰り返されていた。

 

それはたまたま安全なところへ行った、もしくは言葉が通じないから分からなかっただけなんじゃないの、と思われるかも知れないがが、町の雰囲気というのは肌感覚で分かる。また、英語でのやり取りだが、そこからも人々が何を感じているか、伝わってくる。そんなことで、今回も色々な方と知り合いになった。その話も面白いのだが、それはまた後日。

 

とにかく、百聞は一見に如かず、これは今一番大切な言葉かも知れない。ただし「聞」を「検索」に変える必要があるが。。。

 

しかし、日本はどうしてこうもネガティブな情報ばかり流れるんだろう。トルコへのツアーはけっこう取りやめになっていると聞くし、向こうで会った日本人はけっこう少なかった印象がある。トルコの人にも合うと、まずニイハオかアンニョンハセヨ。どちらにも返答しないと、あぁという顔をして、コンニチワが続く。トルコは知る人ぞ知る親日国で、イラン・イラク戦争の折にイランに滞在していた日本人を、自国民より先にトルコ航空で救出したといういささか感動的なエピソードがある(その背景には、1890年に日本近海で座礁したトルコの船を日本人が救ったことがあった)。そうした間柄なので、もうすこし勇気をもって日本人も行くべきかと思う。

アジアとヨーロッパのかけ橋となったボスポラス海峡は必見ですぞ。

 

なお、下の小便爺さん(ほんとうは爺さんではなくて子供らしいのだが、私の頭ではイメージが出来てるので、こう呼ぶ)、今回の旅でも逢えるかと思いきや、もうヘルシンキの港にはなかった。ちょっとさびしいなあと思っていたら、フェリーへ行く6番線のトラムの途中で発見。どうも市内を移動しているらしい(ってもちろん勝手にじゃないだろうが。笑)。これを探すのもヘルシンキ旅行の楽しみの一つと言えるかも知れない。ご参考までに。。。

 

染谷智幸(そめや・ともゆき)俳号は獄雨、切枝凡

専門は日本文学(江戸時代)、日韓比較文学

写真(著者撮影)はヘルシンキの小便爺さん、シュールである

gokuu01

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