獄雨の完調日記 3

2015年7月17日

 

文理融合とは言うけれど。

 

岩波書店から『海域アジア史研究入門』(2008年)という古今独往の入門書を上梓した桃木至朗氏(アジア海域史、大阪大学教授)は、いま私が最も注目する研究者の一人である。

その桃木氏が、すこし前のことになるが、「大航海時代とその帰結」という文章の中で、世界史を叙述する際に、国と国、民族と民族、人と人を中心に据えてはならず、それらの前に「関係」や「システム」があったこと、また今もあることを示すべく、こんなことを書いて居られた。

 

近代科学は一般に、物質界なら原子、人間社会なら個人など「それ以上分けられない最小の単位」がまず存在し、それが結びついて物質や社会ができあがる、という順番でものを考えてきた。ところが原子をどんどん分解して素粒子の世界に入っていったら、最後に「強い力」「弱い力」「電磁気力」「重力」の「4つの力」という物質ではないものが残り、「最小の物質がまず存在する」という観念は崩れてしまった。社会科学でも同様に、最初に「個」があって次に集団が成立するのでなく、「個」は他者との「関係」や「力」の中でしか成立しないことが認識されてきた。

世界(国際社会)を考える際に、原子や個人に当たる最小単位として考えられてきたのが、国家と民族である。世界システム論や、そのヒントとなったブローデルの「地中海世界」論は、そこを変えようとした。つまり、ある「世界」の構造や状況こそ独立変数であると考え、その中での個々の国家や集団の動きをむしろ従属変数ととらえるのである。西欧の近代化とりわけ資本主義化は、どれかの国の内部発展が周辺に波及しておこったのではない。それは世界進出の結果として出現したところの、西欧を中心(中核)としラテン=アメリカや東欧を周辺(辺境)とする大規模な分業システムつまり「ヨーロッパ世界経済」(=近代世界システム)がもたらした出来事だった。ではその世界進出はなぜ起こったか。それは、14世紀以来の危機を領土拡大によって乗り切ろうとする(別に近代的でない)ヨーロッパ世界全体の動きが、いろいろな偶然が重なって成功したものと理解される。

(連載、グローバルヒストリー、第4回、帝国書院、2007年4月)

 

多くの文系学者は、あまり知らないと思われるのだが、キョービの物理学というか量子力学というか、その手の世界というのは、とんでもないことになっていて、我々の常識は悉く覆されている。

例えば、我々の良く知っている原子核と電子の図(原子核を電子が回る)の原子核は陽子と中性子に分かれ、さらにその陽子と中性子はクォーク(Quark)から成り立っていることが明らかになっている。で、問題はこのクォークなのだが、これが単独では成り立たずに常に関係性の中で成り立つものらしい。例えば、クォークにはクォークと反クォークの組み合わせがあるのだが、この二つを引き放すと、それぞれに反クォークとクォークを真空の状態で生み出す、つまり、

 

「クォーク+反クォーク」

 

を、

 

「クォーク」← →「反クォーク」

 

の状態にすると、

 

「クォーク(旧)+反クォーク(新)」「クォーク(新)+反クォーク(旧)」

 

という二つの組み合わせに分裂するということである(このクォークと反クォークをくっつけている力が桃木氏の言う四つの力のうちの「強い力」である)。

クォークはこのクォーク+反クォークの組み合わせ以外にも3つで構成される組み合わせもあるので、ここからすぐに、これこそ陰陽(五行説)だ!などとは言ってはいけないのであるが(笑)、ともかく、物質の根源たるクォークは、関係性という海の中に漂っているということである。

 

桃木説は、社会学を援用しながら、この関係性を、人と人、国家と国家にまで持って来る。いささかならず飛躍があるが、物質存在の根源に関係性しかないというのは、あらゆる物事を、そうした関係性の中から捉え直す必要があるのではないかという気にさせてくれることは確かである。

 

例えば、言い古されたことではあるが、日本という国家が成立したのは(つまり国号を「日本」にしたのは)、唐と新羅の連合軍に白村江の戦い(663年)で敗れ、その恐怖感から、つまり関係性の中から、唐・新羅に対抗できる律令国家を建てるべく国内を一本化した時である。これなど、クォーク(中国・新羅)と反クォーク(日本)で何となく成り立っていた世界から、反クォークが引き離された時、反クォークの日本は、中国の律令制というクォークを自己の内部に作り上げたという図式になるし、クォーク仲間の中国と新羅がその後、仲間割れして対立し、結果棲み分けたのも、クォーク(中国)と反クォーク(新羅)に分裂したと見ることができる。この関係性の図式、恐ろしいほどに応用、いやコジツケが利く。

 

ちなみに、桃木氏は触れて居られないが(たぶんご存知だろう)、この全ての現象の根本に「関係」を置くのは他でもない仏教がそうで、根本仏教の教義の一つ、三法印にある「諸法無我」(全てのことは関係している)と、十如是から来る縁起観とが、まさにあらゆる現象の前提に関係を置こうとする「関係」至上主義である。上記のクォーク問題、この諸法無我と縁起観に絡めると更に面白いことになる可能性があるが、それはまた別のところで書くとして、今回、桃木氏の文章を再読して気になったのは、昨今話題の文理融合である。

 

私の専門でも、この文理融合を背景にしてか、江戸時代の医学書や数学(和算)書を広い意味での文学研究の対象に、また江戸の文人を文学者としてでなく、医者や技術者というレベルから解読していくことが行われるようになった。これが大切であり慶賀すべきことでもあるのだが、どうもその興味や関心の在り処が薄っぺらいというか、ご都合主義というか、何か胡散臭いのである。例えば、医学や数学に関わるならば、せめてその医学・数学が、現代世界でどのようになっているのか、つまり医学や数学そのものへの興味を持って進めるべきであろう。そうでないと、江戸の医書は文献学的・書誌学的はこうなってます。ここまでやりましたから、後の専門的なところは医学畑の人がご自由に、というような、文理融合でなく、文理助け合いで終ってしまいかねない。

 

「でもね、染谷さん、そんなとこまで研究を広げている時間ないわけよ」という声は聞こえてきそうだし、実際に似たような話は何度も聞いてきた(笑)。これにはいつも反論できないから困る。確かにその通りだからだ。私も、もう一人分、人生がほしいと切に思う今日此の頃である。例えば、西鶴研究と日韓比較研究をしている染谷を、西鶴研究者と日韓比較研者に分裂させて別々の研究会に出席させたいのである。しかし、こればかりはクォークと反クォークのように分裂させるわけにも行かない。(さらに昨今は新版画に興味を持ちだした染谷が急成長を遂げつつあるから厄介だ)

 

何か話が与太話っぽくなってきたが、時間がない中、桃木氏のように深いところでの文理融合を進めるにはどうしたら良いか。理系では一つのテーマに向かうチーム研究が盛んだが、文系でもそうした研究のスタイルを模索する時期が来ているのかもしれない。そのノウハウの交換も文理融合と言ってよいかもしれないが、さて。

 

gokuu01

染谷智幸(そめや・ともゆき)俳号は獄雨、切枝凡

専門は日本文学(江戸時代)、日韓比較文学

写真(著者撮影)はヘルシンキの小便爺さん、シュールである

 

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