日本の経済小説史を考える(1)

3月16日

この3月24日(木)に、青山学院大学で西鶴研究会(第42回)が行われる。

この研究会の事務局長を引き受けて、もう二十年近く経った。会長という立場の方が居ないので実質的には代表ということになる(ただ、他の皆さんが支えてくださるので、負担に感じたことはあまりない)。

研究会は、年二回の開催、毎回二人の研究発表が行われる。発表時間1時間、質疑応答1時間という、なかなかハードな設定である。特に、質疑応答が1時間というのが、いやはや何ともである。参加者は平均40人ぐらい、その40人から集中砲火を浴びるのである。しかも老若取り合わせて、西鶴研究の最前線を走っている方ばかりだから、質疑も手厳しい。

「せっかく遠くから来たのに、あたなのご発表にはがっかりした」とか、

「僕の書いた論文読んでないでしょ、読んでください」とか。。。

これ、実際に飛び交った言葉である。そんな言葉まで良く覚えているねと思われるかも知れない。前者は私が言われた言葉であり、後者は私が言った言葉である(私の方は失礼でした。お詫びします)。

それもあるのだろう、なかなか発表者が集まらない。今回も一人は決まったものの、もう一人が空席で、いろいろ画策したのだが希望者が出なかった。こうなると、私が責任を取って出番となる(こういう出番は今回で5回目だ)。それで準備をしていたら、急遽発表したい方が現れて、すわ交代ということになった。それは有難いのだが、せっかく盛り上がってきた私自身の発表意欲、このまま沈ませるのも、ちょっと勿体無い。実は、6月12日(日)に学習院大名誉教授の諏訪春雄先生主宰の会「民俗文化の会」で同じような内容で発表することになっている。そこで、この場を借りて、何回かに分けて記述しながら、6月まで引っ張ってゆこうという算段である。興味のある方、お付き合いくだされ。

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さて、今回の発表題目は、「西鶴と江戸時代の経済・経営書―『通俗経済文庫』を中心に―」である。

ちょっと硬いので、6月の発表では、「日本経済小説史考-『日本永代蔵』から『半沢直樹(オレたちバブル入行組)』『下町ロケット』まで-」とした。

要するに、江戸時代の西鶴から現代の池井戸潤までの経済・経営小説を俯瞰しようという試みである。

今回予定していた発表要旨は、

 

西鶴の『日本永代蔵』(以下『永代蔵』)が後続の作品群に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもないが、そうした影響の実態やその意味については、後続の浮世草子等の文学作品が主で、他の分野、特に経済・経営書については、従来さほど問題にされてはこなかったように思われる。しかし、グローバル化とともに、資本主義全盛の時代を迎えている今日の世界から見る時、その資本主義の中心にある貨幣・金融経済の隆盛初期に立っていた西鶴の経済小説(町人物)は改めてその意義を問い直す必要があるだろう。西鶴や西鶴以後の経済・経営書を収集した『通俗経済文庫』の内容を押さえつつ、西鶴直後の享保期の経済動向の問題点を見据え、『永代蔵』を始めとする西鶴町人物の再評価のための視座を模索してみたい。

 

であった。これもちょっと、いやだいぶ硬い。

で、なぜこんなことを考え始めたのか、である。

 

◇資本主義全盛時代の到来

もう四半世紀も前のことだけれど、アメリカの経済学者、フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』(渡部昇一訳、三笠書房、一九九二年)で、歴史が終わったという言い方で、社会主義・共産主義の衰退を説明したのを覚えて居られるだろうか。資本主義の後に共産主義が来ると言ったマルクス、その通りにはならなかった、もう歴史は資本主義で終ったのだと宣言したわけだ。本の中身はともかく、この言い方が大変ショッキングだったし、当時の世相とも上手くマッチしたために、フクヤマの言説は一挙に世界を駆け巡った。

これに対して、日本のポストモダン派(ニューアカデミズム)からは多くのフクヤマ批判が出た。ポストモダンの代表であった浅田彰は『「歴史の終わり」を越えて』(筑摩書房、一九九九年)でそんな簡単に終わりはしないということ諄々と説いたわけだが、その後の歴史で、アメリカを中心に新自由主義(日本は小泉政権が代表的)が跋扈すると、フクヤマの言説は、ポストモダンの批判を蹴散らして、資本主義全盛の時代を築き上げたかに見える。しかし、みなさまもご承知の通り、この資本主義、どうも上手くいかない。昔は「神の見えざる手」(アダム・スミス『国富論』)といって、人間の経済活動は自然にバランスが取れるものだとか、近年は、トリクルダウン(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる)と言って、富の平準化、充満を予想した。

これを粉砕したのが、トマ・ピケティの『21世紀の資本』(山形浩主他訳、みすず書房、二〇一四年)である。ピケティの言ったこととは何か。資本主義は格差を生むだけで、皆が豊かになるというのは神話に過ぎないと。つまり、資本主義とは金持ちがより金持ちに、貧乏人はより貧乏になるシステムなのだと。ピケティの凄いのは、それを歴史的な資料から明らかにしてしまったことだ。

そうなると、現在の経済的格差が生んでいる貧困やそれによる紛争やテロリズムが将来どうなるかも予想がつく。見えざる手とは濡れ手に粟の手になり、トリクルダウンどころか一滴も落ちてこない。貧しい層の人たちは完全に干上がって暴発し、社会は根底から崩れる状態になるだろう。いま世界で起きている事件とは、その終わりの始まりなのだと。

ピケティを始めとする経済学者は、ではどうすればよいか、についてはあまり語っていない。結局、良く分からないのだろう。ダメな経済社会を抜け出す方法を経済から考えるのは、マクベス夫人がそうしたように(シェイクスピア『マクベス』)、血を血で洗うようなもので、答えが出る筈がない。

では、どうすべきか。

こうなったら定石通りに考えるしかない。道を間違ったと思ったらどうするか。答えは簡単である。間違ったと思しき地点まで勇気をもって戻ることである。これはオリエンテーリング(道探しのスポーツ)の鉄則である。経験した方は分かるだろう、オリエンテーリングで無理して道を探せば、必ず迷子になる。つまり、資本主義がスタートした地点にまで戻って、一体そこで何が起きていたのか、他に道はなかったのかを、あれこれと考えることである。

日本の場合、資本主義(高度経済社会)がスタートしたのは江戸時代である。その江戸の初期に一体何があったのか。資料としては、井原西鶴の経済小説や、石田梅岩、西川如見などの経済思想をつぶさに観察しつつ、それらが前代(中世)から何を受け継ぎ、何を受け継がなかったのかを考えることである。特に、この後者、何を受け継がなかったのか、これが極めて大事だと思うのである。(未完)

染谷智幸(そめや・ともゆき)俳号は獄雨、切枝凡

専門は日本文学(江戸時代)、日韓比較文学

写真(著者撮影)はイスタンブールのアヤソフィア大聖堂に遺されていた海賊の落書き。

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