リアルにものを見、考える

茨城新聞の紙面批評、3月と4月分を載せます。

それぞれにテーマは違うのですが、一貫して、リアルにものを見ることの大切さを感じています。

その為には現場に足を運んで直接対峙し話を聞くしかない。定点観測の時代は終わった。

3月後半

三月後半は土匂う啓蟄。そんな季節を感じてか、19日の茨城論壇「自然循環の中に生きる」を感慨深く読んだ。筆者はNPO環~WAを設立し県内で積極的に自然環境保護活動を続けている平澤文子さんである。平澤さんは、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼の離島・大島を訪れた経験や自身の活動を基に、自然の循環を認識することの重要性を強く訴えた。

日本の中で有数な自然に恵まれながら、その多くを失いつつある茨城県において、この提言の意味は重い。もとより誰もが平澤さんのような活動に参加できるわけではない。しかし環境保全の重要性を知り、子孫に伝えてゆくことはできる。最近、『絵と伝聞 土浦の里』(佐賀純一著、佐賀進絵、昭和56年、筑波書林)を読んだ。文中にかの野口雨情が土浦小学校の校歌を作るべく同地を訪れる話が出て来る。雨情は土浦の美しい景色に圧倒され、これほどの地に住んでいる人は関東広しと言えども他にないと言ったそうだ。関東を転々として佳景(かけい)の数々を見ている雨情が言ったのなら間違いない。また、土浦は美しいだけでなく自然福徳の地でもあった。霞ヶ浦からの水路が縦横にめぐり、どこでも小魚や白魚が取れた。東京からの客にそれらを網ですくって振舞う話も出て来る。今の土浦からは想像もつかない世界である。こうした場合、すぐに何が原因か、昔を取り戻す方法は何か、に話が向かいがちだが、大切なのは美しい世界を記憶し伝える努力である。そうした種がありさえすれば、いつか花は咲くものだ。いま投票が行われている(31日現在)茨城セレクション125(茨城新聞社主催)にそうした種が沢山集まることを期待したい。

三月後半と言えばもう一つ卒業の季節である。卒業は生徒・学生ばかりでない。送り出す側の先生も卒業する。「退職校長に聞く」(30日)は素敵な記事だ。特別支援教育に35年携われた鈴木功先生。今では理解も広がった障害児教育だが、草創期の苦労は如何ばかりだったのか。先生の爽やかで前向きのインタビューから、後進はそれを推し量らねばならぬ。助川正江先生は、先生が小学校1年の時に出会った女性の先生に憧れ、教育の世界に飛び込んだとのこと。同じ動機で教育の世界に入った先生方も多いだろう。これは自然の循環に対して人間の循環と言って良く、大切にしたい環境の一つだ。なお、こうした記事は全国紙には無理であり、地方紙ならではのものだろう。一層の充実を望みたい。

茨城は春の訪れと卒業で穏やかな日が続く。一方、世界は益々喧騒になるばかりである。22日にベルギーブリュッセルの空港と地下鉄で起きたテロに世界は震撼した。まず亡くなった方の冥福を祈りたいが、気になったのは23日の本紙一面にその記事が載らなかったことである。他に茨城の重要なニュースがあるのは分かる。しかし、茨城空港という国際空港を持ち、国際化を重要な戦略として掲げる本県。その中心に立つ本紙が、この事件をトップで伝えないのは困る。後日の報道によればベルギーのテロは原発も襲撃の対象だったらしい。テロがあれば東海第2原発が日本で最初に狙われる可能性は高い。その警備は大丈夫なのか。同じ循環でも、この憎しみの循環(連鎖)だけは断ち切らなければならない。

 

4月後半

二月のこの欄でも取り上げたが本紙の「移動編集局」という発想が実によい。ここには新聞はもちろん、メディア全体の未来に繋がる何かがある。二月の雛祭り、そしてこの四月に始まった笠間の焼き物市、現場に腰を据えての取材からは本社デスクの定点観測では見えないものが見えて来る。たとえば30日の17面を見ると焼き物市に来た人たちの生の声が多く取材されていることに気づく。卵かけご飯の飯わんや酒器に良いとか、好みのマグカップが見つかったとか、生活と密着した飾らない笠間焼の良さが伝わってくる。定点に寄せられる情報なら、笠間焼の芸術性云々という余所行きの、ステレオタイプ化された話に仕上がってしまうところだが、密着取材は生の声を図らずも拾い上げて来るから面白い。

私はこれからの時代、この「移動」こそが新しい文化の基礎になると考える。しかし一般的には逆に考えるかも知れない。今や机に座ってコンピュータを起動すればどんな情報でも手に入る。これからが定点の時代だと。残念ながらそれは違う。確かにコンピュータには大量の情報が送られてくるが、それらのほとんどは管理、調整されたものに過ぎない。よく日本のマスコミは中国等他国の情報統制を揶揄するが五十歩百歩だ。報道の自由度ランキング72位(「国境のなき記者団」の査定)の日本が他をどうこう言えた義理ではない。本物を知りたければ「移動」するしかない。「百聞は一見に如かず」は今も、いや、むしろ今からこそ生きて来る言葉である。

私の勤め先の大学に「文化交流学科」という交流を第一にする学科が出来たのもその為である。外国語が話せるようになってから、その国の文化を良く知ってからと考えると、結局行けなくなってしまう。まず行くことだ。考えるのはその後でよい。それで昨年はいささか危険も伴ったが、トルコとミャンマーに学生を連れて行った。やはり日本で聞いたことと現地の生の姿はずいぶんと違っていた。

いずれにせよ、茨城の生の声を届けるのは本紙しかない。昨今かまびすしい「十八歳選挙権」も茨城大学など県下の大学に「移動編集局」を設けたらどうか。TX沿線の守谷市に置くのも良い。茨城の南と北の住民意識がどれほど違うかが直に伝わるはずだ。もちろんひたち海浜公園に「ネモフィラ編集局」も面白い。

なお四月後半は全国の人の心が熊本に向けられた半月でもあった。それ本紙の細部にも深く刻み込まれていた。30日23面「県民の声」の平田優子さんの文章が心に残る。平田さんによれば、被災地で人間の飲む水がないのに動物に呑ませるとは何事かという声があったらしい。普通なら心ない暴言と一喝してしまうところだが、平田さんは被災地にストレスが溜っているのだろうと慮(おもんばか)る。さらに「動物を飼っている方々が周囲に迷惑を掛けないように、避難所の外で横になっている姿を見ると」「本当に涙が出てしまう。どうか、みんなでこの困難を乗り切ってほしい。熊本県、頑張れ」と結ぶ。

熊本の実情を知り、平田さんのような暖かい思いを彼の地に送れるのも、震災の現場に腰を据えて取材を続けている報道人のお陰である。二次災害の恐怖に耐えながらも活動を続ける方々に心からお礼を申し上げたい。