ひさびさに・・・

ひさびさに、書きます。

ここ一週間、韓国に調査の為、出かけ、先ほど帰国。一昨日の慶州で地震はちょっとした騒ぎになりました。私の滞在したソウルの安ホテルでも揺れました。

韓国のホテルは地震対策していないので、すこし胆を冷やしました。これからはもう少し良いホテルに泊まらないといけないかも知れません(笑)

今回、韓国に関心のある学生も連れていって、交流のある大学(韓瑞大、明知大)の学生と交流しました。

ある日本好きの韓国人学生と話をしていたら、最近、日本が好きだと言うとバッシングを受けることが多いと言っていました。日本学を専攻する学生の中にも日本を良く思っていない学生が増えているとのことでした。それは、韓国の大学における日本関連学科の退潮とも符合するものです。

このまま韓国の大学における日本学関連学科の退潮が続くのかどうかは分かりませんが、これは日韓にとって良いこととはとても言えません。即効の良策はありませんが、ともかく日韓の間に立って、著作や学会発表等を続けて行く以外にありません。

いずれアドバルーンを上げますが、韓国の大学で博士号を取られ、その後も頑張っている若い諸嬢諸君が居ます。多くはソウル大の博士号をお持ちです。みなさん韓国語は完璧で、苦もなく韓国語で論文を書かれます。すごいですねぇ。こっちはヒーヒー言いながら辞書を引き、和臭いっぱいの韓国語しか書けないのに。。。羨ましい限りです。もっと若い時から外国語を始めれば良かったとつくづく思います。ま、それはともかく、そうした方々と研究会を創ろうと思っています。その研究会の言語は韓国語で発表も質問も韓国語でやろうかと。先日、その若手の研究者にちょっと構想を話したら、急に話が盛り上がってしまいました。たぶん、一番苦労するのは私だろうと思いますが、日韓に立つ方々の誰もが通った道ですから、否とは言えません。頑張るだけです。

もしこの話が明らかになりましたら、またここで紹介したいと思います。

最後に、五月後半、六月後半、七月後半の茨城新聞郷土紙批評を載せます。

・・・・・・・・・・

五月後半

私の自宅はつくば市内にある。週4日つくばから大学のある日立市まで通っている。バスか車で荒川沖駅まで行き、常磐線で大甕駅、そこから徒歩となる。約二時間かかるが、常磐線では本を読み、疲れたら車窓から景色を眺める。この五月の景色は至福でまさに万緑、薫風の楽土である。

その景色を眺めながら、いつも心にかかることがある。それはつくばと水戸・日立の違いである。国立社会保障・人口問題研究所の2013年の報告によれば、2025年の段階で人口が増えているのはつくば市・牛久市・守谷市・神栖市、東海村でほぼ県南が占める。それに対して県央・県北は人口減、常陸太田に至っては20%近くの減り方だ。その後この傾向は更に進み、2040年には水戸とつくばが拮抗、完全に二極化する。問題はそうなった時の県民意識で、南北の分裂は避けられないだろう。すでに常磐線のダイヤにもそれが表れていて、土浦等の南から水戸・日立方面の北に行きにくいこと極まりない。まるで二つの県や文化圏を跨(また)ぐような感覚がある。

この欄でこんなことを書くのは、この五ヶ月間、紙面を読み続けて来て、この茨城における南高北低の問題を取り上げた記事が一向に現れないからである。必ずしも県民意識が一つである必要はないが分裂してしまっては何をやるにもパワーにならない。こうした問題は華やかな「G7茨城・つくば科学技術大臣会合」(16日1面)等の記事に隠れてしまいがちだが、もっと「見える化」し善後策を提言してゆくことも新聞の大きな役目だ。原発と避難、津波・高潮・河川氾濫の防災と自然環境保護、霞ヶ浦の浄化と導水事業(係争中)等々、茨城は全体で共有しなければならない問題が山積している。「地域総合」欄でこうした問題を粘り強く取り上げて問題提起して欲しいと切に望む。

更に言えば、こうした問題を「週刊いばらきこども新聞」にも取り上げて欲しい。大人でも理解しにくい問題をこども新聞に載せるのはどうかとの意見もあろうが、それは大人の傲慢だと思う。大人が困っている問題を正直に子供に話し共に考えて行くことが何より重要で、そこから子供も育つ。そうした意味で16日の「こども新聞」(13面)がパナマ文書・タックスヘイブンについて載せていたのは良かった。二十一世紀前半の恐らく最大の経済問題となるタックスヘイブンを子供たちがどう受けとめるか楽しみだ。

本紙はこうした小さい記事にヒットが多い。同じく16日、17面の文化欄、磯崎新氏のインタビューは特に光った。20年のオリンピックに向けての新国立競技場問題で建築家のザハ・ハディド氏の案が白紙撤回された件である。磯崎氏は日本で報道されたこととは全く逆に、ザハ氏の排除は世界的に見て日本の建築文化のレベルの低さを露呈した事件だったと言う。磯崎氏の批判の当否をここで問わない。しかしあの時、マスコミも国民も訳の分らぬままにザハ氏排除へ雪崩をうったことは確かだ。世の風潮に逆らって意見を述べることは難しい。それを可能にするのは、専門的な深い見識である。磯崎氏がそうした識者であることは誰もが認めるだろうが、そうした識者の意見を引き出すメディアの側にも見識が要る。今回の記事は茨城新聞の良識を示した記事でもあった。

六月後半

28日(日本時間29日)、トルコのイスタンブール、アタチュルク国際空港でテロが起き、44人が死亡(7月1日現在)、多くの人間が負傷した。本紙は30日の2面ではあったが大きく報道し事件の詳細を伝えた。国際空港を持つ本県の新聞として良い姿勢だ。アタチュルク空港は昨年私も行った場所である。行けばすぐ分かるが、あの空港は世界の様々な人種・民族に加えて、多くのイスラム教徒が巡礼の為に集まる空港である。そこで大々的なテロが起きたことは、テロがイスラム・非イスラムの境を越えて完全に無差別化したことを意味する。

こうした点に更に突っ込んだリポートが本紙にも欲しいが、広い知識を持つ記者諸賢にしても難しいかも知れない。そこで一つ提案がある。本県は多くの大学を抱え、特に筑波大学と茨城大学という二つの国立大学法人を擁する。これは地方としては極めて珍しいのではないか。当然、優れた専門家が本県には沢山居るわけで、こうした事件が起きた時に専門家たちのホットなコメントがあれば極めて有益だろう。各大学と茨城新聞の間で協定を結んでおき新聞社からの電話やメールに対応するようにしたらどうか。大学にとっても社会貢献ができ、県民にとっても大学の意義を見直す良い機会ともなる。

いずれにせよ、6月後半は世界で大きな事件が続いた半月だった(バングラデシュの首都ダッカのテロについては、七月の批評子に委ねる)。その中で最も世界を驚かせたのはやはりイギリスのEU離脱だ。この点に本紙も25・28日の論説等で大きく紙面を割き経済問題を中心に日本での警戒を訴えていた。しかし私の見るところ、最も大きな問題はイギリスでの国民投票が国家内の分裂を引き起こした点だ。その分裂とは残留派と離脱派の分裂もさることながら、より深刻なのはスコットランド等の独立に再び火がついたことだ。このことは改めてイギリスがUK(ユナイテッド・キングダム、連合王国)であったことを強烈に思い起こさせる。諸書が示すように、近代国家はこの「連合」が多い。実は日本もそうで、沖縄・アイヌ・在日の方々との連合国家と言ってよい。その沖縄が抱えた問題は日本にとって極めて重い問題だ。

ところが、7月10日の参議院選挙を控えて、この沖縄問題が選挙の焦点としてほとんど浮上してこないのは何故か。本紙においても30日の2面に選挙の激戦地として取り上げたものの扱いとしては小さい。このまま行けば、沖縄と日本は深刻な分裂を引き起こすばかりか、下手をすると、同じく日米と中国の対立に挟まれる韓国や台湾等に沖縄が独立連合することも、全く有り得ぬ話ではない。そんなことを6月後半の一週間、学会の為に滞在したソウルで考えていた。その学会でソウル大教授の鄭炳説(チョンビョンソル)氏は朝鮮戦争時(1950~53年)、権力側によって引き起こされた自国市民の虐殺について詳細にリポートされた。そして他国の歴史観を批判する前に、自国の歴史から目を背けるなと訴えて居られた。折しもその学会が開催された6月25日は朝鮮戦争が開始された日である(韓国では625(ユギオ)戦争とも言う)。そのことを知る日本人は何人居るだろうか。韓国とは反対に日本はもっと国外、特にアジアに目を向けねばならない。

七月後半

大正、昭和前期に伝統的な浮世絵の創作手法を復活させて作られた新作の版画を「新版画」と呼ぶ。私が昨今、自分の専門(江戸文学、日韓比較文学)とは別にこの新版画とその代表である川瀬巴水の世界に入れ込んでいる(例えば「巴水とその時代を知る会」代表、国際新版画協会理事等)のには理由がある。一つは勤め先の茨城キリスト教大学と巴水の交流の深さ、もう一つは本紙の6月21日(火)「茨城春秋」でも紹介されたように、巴水の版画が茨城を見直す良い切っ掛けになることである。しかし最も重要なのは、巴水の地方(茨城等)への眼がそのまま「外国」「世界」へと繋がっている点である。

同じ版画でも、浮世絵と新版画には決定的な違いがある。それは浮世絵が純粋に日本人による日本人の為のものであったのに対し、新版画は最初から外国を意識したものであった点である。よくアップルの創始者スティーブ・ジョブズが川瀬巴水の有名な収集家であったとか、英国ダイアナ妃の執務室に吉田博(新版画家)の作品が掲げてあったことが話題になるが、これは偶然ではない。新版画が最初から目指した結果なのである。

この外国向けの戦略を練り、巴水等の版画家達を育成し、新版画を見事成功裏に導いたのは「最後の版元」と言われた名プロデューサー渡邊庄三郎(1885~1962)である。彼の新時代を見抜く目と抜群の企画力・実行力(英語もかなり出来たらしい)がなければ新版画はなかった。ちなみに渡邉は茨城県猿島郡五霞町の出身である。

新版画の話を切り出したのは他でもない。近年全国魅力度ランキング47位(民間・ブランド総合研究所の調査)を独走中の茨城県について「どうしたもんじゃろのう」(NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」の主人公常子の口癖)とお嘆きの方々にこの新版画は、その脱出方法のヒントを与えてくれそうだからである。そのヒントは郷土の大先輩、渡邉庄三郎のプロデュース方法の中にある。ここでそれらをつぶさに検証できないが、渡辺の基本的なの発想は一つ、即ち魅力とは自然と生まれて来るものでなく、創り出すものだということだ。徹底的にターゲットを絞り戦略を練る。渡邉はそのターゲットを外国や外国人に合わせた。

本紙の記事は記者つまり日本や日本人の眼から選定されたものである。それをもし、外国や外国人の眼から選び直してみたらどうなるのか。

例えば、紙面は小さかったが、21日19面の「大甕神社で例大祭、海上渡御で大漁、安全祈願」は日本独特の信仰文化として関心を引きそうだ。また同じく21面「海水浴客『ユニスポ』体験」の記事は障害のあるなしを越えて共に楽しむスポーツを取り上げていて、これも外国からの関心が高まるはずである。また31日の14面「セミ羽化、親子歓声」も同様だろう。宮崎駿監督のアニメ作品『風の谷のナウシカ』は虫を始めとする小動物・自然と人間との交流を描き世界でも極めて評価が高い。ナウシカのファンは日本人の虫に対する特別な親近感に興味を抱いている。

茨城県に住む留学生や外国人に本紙のどの記事に興味を持ったか調査をしてみたら面白いだろう。そこから沢山の発見があるはずだ。それが茨城の魅力創りに繋がる気がするのである。

以上