パストリッチ氏は本当にエライ

3月7日

正月に書いた日記でも紹介した、エマニュエル・パストリッチ氏(韓国慶煕大)に久しぶりにお会いした。五、六年ぶりだろうか。メールではやりとりもあるし、韓国だから近いし、また私も韓国へは良く行くので、最近会っていないなぁという感覚はほとんど無かった。そんなに会っていなかったことに、会って初めて気がついた。

彼は語学の天才である。アメリカ人だから基本は英語であるが、日本の大学院を出て日本語は堪能、韓国の大学教授で奥さまが韓国人、よって韓国語は上手い(本人は日本語の方が上手いと言うが)。そして中国語で論文を書く。いつぞやは、染谷さん、これちょっと読んでくださいと言って中国語の論文を渡されたことがある。恐る恐る、いや俺、中国語はだめなんだけどとお伝えした。また、フランス語とドイツ語もこなす。こなすってどの程度か。そんなもの私が分かるはずもないが。

一昨年出版した『韓国人だけが知らないもう一つ大韓民国』(21世紀ブックス、2013年)は実に良い本で、今話題の朴槿恵(パク・クネ)大統領が同年最も感銘を受けた書として紹介したことから、韓国で大いに話題になった本である。ただ、残念なことに、まだ日本で出版されていない。

日本の良い本は韓国でたくさん翻訳出版されているが、その逆は本当に少ない。それは日本が韓国を軽視というと言い過ぎだろうが、大切な隣国として意識していないからで、これは本当に困ったことである。

韓国は名目GDPが世界で13位(日本は3位)だが、人口差(韓国は約五千万人、日本は一億三千万人)を考えるとほとんど差がない。一人当たりのGDPは日本が世界で27位、韓国は30位である。韓国はG20にも必ず参加する堂々たる先進国である。歴史も長く伝統もあり、日本とは一衣帯水の国家で古くから様々な交流がある。そんな隣国に日本がきちんと向かい合わなくて良いわけがない。こうした状況をこのまま放っておくと恐らく大変なことになる。

今、日本が韓国や中国に、いささかなりとも高飛車に出られるのは、アメリカがバックにあるからである。かつての総理大臣が日本を不沈なんとかと言い、日本を攻めればアメリカと闘うことになりますと真顔で説明した方も居た。日本では歓迎された発言だったのかも知れないが、これではまるでジャイアンの威を借るスネオである。格好悪いことこの上ない。世界はそう見たはずである。

だが、格好悪いのは仕方ないとして、問題なのは、そのジャイアン、いやアメリカが何時までも日本に関心を寄せてくれると限らないことである。今回、パストリッチ氏と会って話をしたうちの一つにそのことがあった。パストリッチ氏もそのことを、とても心配していた。

パストリッチ氏曰く、世界の警察官と言われるアメリカはこれから国内問題に集中するだろうと。なぜなら、ここのところの、外交での失敗続き、国内問題の山積という事態を前に、国民が疲れ始めているからだとか。そしてこれが重要なのだが、元々アメリカという国は、その歴史を見ると、国外志向と国内志向という大きなうねりを繰り返しているお国柄なのだと。

確かに、江戸時代末にペリーが来航して日本を開国させたと思ったら、南北戦争でその後はパタリと日本に来なくなってしまうし、第二次世界大戦の前のアメリカは国内に没頭していた時期もあった(それを世界に引きずりだしたのがドイツと日本だったわけだが)。

そうしたことを考えると、これからのアメリカはもう東アジアはこりごり、日本は独立国家なんだから、勝手にやりなさいと言いながら、国内問題に引きこもる可能性がある。今回の大統領選挙で共和党のトランプ氏が瞬く間に人気を博している背景にはそのことがある。世界に出ても割が合わないという感覚がアメリカに充満しているのだろう。もしそうであれば、今のトランプ旋風はアメリカの構造的な問題から来るのであって、トランプ氏が大統領になろうがなるまいが、いずれアメリカがそうなると見るべきなのである。

ジャイアンの居なくなったスネオはみじめだろう。友達が居ないからである。日本はだいじょうぶだろうか。台湾? 対中国で共同歩調を取っているだけでは・・・。フィリピン? アメリカが引きこもったら果たしてどうなるか・・・。 ひょっとしたら沖縄だって日本から・・・。 あまりネガティブなことは考えたくないが、どうも日本は韓国や中国と仲良くやるしかない。安全保障というなら、日本はそれを第一に目指すべきである。

パストリッチ氏がエライのは、天才的な語学力を生かし、各国の情報を集めて今の日韓がどうあるべきかを文化的な側面から提言していることである。誤解してはいけないのは、彼は政治評論家的言動を目指そうとしていないことである。あくまでも学者として学問的な側面から提言していることである。今回の本も、韓国には韓国人が忘れてしまった重要な伝統文化がたくさんあり、それを現代に生かすことで現代韓国の行き詰まりを打破しようと提言しているのである。

パストリッチ氏は象牙の塔に閉じこもらないで、みずから行動し発言するタイプの学者である。それが出来るのは、彼が人に抜きん出た語学力と知性を持っているからである。そんな能力は私にはないから、彼の真似はできないけれど、彼のような人物や業績を紹介することはできる。それが私に与えられた役割の一つなのだろうと思って、パストリッチ氏の活躍を見守ろうと思っている。

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染谷智幸(そめや・ともゆき)俳号は獄雨、切枝凡

専門は日本文学(江戸時代)、日韓比較文学

写真(著者撮影)はイスタンブールのアヤソフィア大聖堂に遺されていた海賊の落書き。