和歌ピースの集積体には、暗号が潜むのでは?

8 『百人一首』の一首一首の歌はジグソーパズルのピースに過ぎなく、並び順に意味はない。ピースを撰んだ際に、定家は暗号や、何かの秘密を仕込んでいる。だから『百人秀歌』の歌にはすでに暗号が潜んでいるのだ、という考え方は成り立ちませんか?

織田氏は、たとえ定家であっても、歌による暗号を作るという複雑な作業ゆえに、撰歌と暗号化に「数年」はかかっただろうと推測しています。定家は、数年の年月をかけて念入りに撰んだ暗号入りのピース(撰歌されて座右に飾られていた色紙群)を、懇願されて、息子のヨメの父親の別荘の色紙のために流用したというのが織田氏のストーリーです。
しかしこれは考えにくいと思うのです。
たとえば、その「数年」は、定家が『新勅撰和歌集』の撰集に没頭していた時期と重なります。また、自身の生活でもいろいろと変化が多い、多事な時期です。
精魂込めた『新勅撰和歌集』と、織田氏が、定家が私的な思いの丈を籠めようとしたとする暗号入り『百人一首』は、基本理念も、方法も全く違います。これらが同時並行で行われたとするのには、無理があるように思われます。
『新勅撰和歌集』と、おなじ方法論による撰集が並行して進行していたとしたらあり得ることですが、『新勅撰和歌集』と織田氏の考える『百人一首』は、全く異なるシステムによるものなのです。

また、そのようなきわどい撰歌、色紙があったとして、それを定家が、容易に誰かの目に触れるようなところに飾っていたというのも考えにくいのではないでしょうか。
そして、そういうものの存在について蓮生が聞きつけたとして、すぐさまそれを自分にも欲しいと定家にねだるでしょうか。

もし、蓮生が定家の自筆和歌色紙が欲しいと思ったら、自分のための「秀歌撰」・「色紙」、つまりカスタムメイドの撰歌を依頼すれば良いのであって、定家なら、その気になれば、その作業を数日ほどで行うことができるでしょう。そして『百人秀歌』は、まさにそうしてできたものです。
仮に、丹念に作った、暗号が含まれた撰歌が秘蔵されていたとしたら、それは大切なものでしょうから、定家は鎌倉武士の別邸などというところに出すはずがないでしょう。
蓮生の要請にあえて答えて、鎌倉武士の別宅をそれで飾ることにして、定家は秘かに溜飲を下げたのだと織田氏は考えているようですが、蓮生の人となり、僧侶としてのありかたと、そうした蓮生の人格に敬意を抱いていた定家の心情、あるいは和歌というものに対する定家の態度を考えると、それは考えにくいと思います。定家はそこまで腹黒い人ではないし、ここは皮肉な行動を取る必要もないところです。
また、生涯をかけて追求した和歌を、そのような不純なパズルのピースにするとしたら、それは定家には嫌悪感があることだったでしょう。