なぜ変な歌集だと評されるのか

5 なぜ「撰歌された歌が変」だと考える人が多かったのでしょうか?

 

それは、これまでの論者が『百人一首』を秀歌撰として論じていたからだろうと思われます。
藤原定家の撰歌として読み解くべきだったのは『百人秀歌』の方でしたが、これは長くその存在すら知られていませんでした。また、戦後にこの写本が発見された後も、参考程度にしか利用されて来ませんでした。本格的に読み込まれたことがなかったのです。
もともと『百人一首』は、蓮生の山荘の障子和歌を利用して、それをコンパクトで便利な王朝の「小歌集」に転換したものでした。だから、一見して秀歌撰に見えるのです。そこに皆、つまり鎌倉時代中期あたりからの皆が、ダマされて来た、ということになります。
そういう意味では、違和感を感じて、変だと思った人は、実は正しかったのだと言うことでもあります。