『百人一首』の撰歌ポリシーは不徹底なのですか?

3 『百人一首』に撰ばれた歌は、「苦」を嘆く歌と、普通の秀歌のマゼコゼだと言うことになるのでしょうか?

その通りです。そこで撰者の定家は、自分が常に用いてきた和歌の配列方法を用いて、それが違和感ないように配列に工夫を凝らしたのです。
これはコンセプトのぶれであって、撰歌集として重大な欠陥ではないか、という批判も出来ますが、この撰歌は、定家にとって気の置けない旧来の知己のためのものでした。多少の欠陥は眼をつぶってもらおうということだったのでしょう。もともと「作品」ではなかったのです。
織田氏も、安藤為章らの『百人一首』の成立説について述べ、「親戚の山荘の装飾に用いる色紙に書く歌なら、自分の好みに従って気ままに選ぶだろう」として、「そう考えるのなら納得できる」、としています。気ままな撰歌、つまり定家がその意の通り撰歌したために撰歌ポリシーに不徹底が出た、ということなのでしょう。それはほかならぬ定家自身が自覚していて、『百人秀歌』の末尾にそう書いています。「いろいろ批判もありましょうが、許してね」と。