『百人一首』と『百人秀歌』

『百人一首』の本当の姿はいまだ知られていないと考えています。

詳しくは、新潮新書を御覧いただきたいのですが、そこに織り込めなかったものや写真などを順次アップします。

・・・・→  歌人についての論考  大伴家持  陽成院  小野篁 人麻呂と赤人を対にした組 (期限付きで順次アップの予定)

・・・・・→ 『百人一首』ミニ写真紀行

・・・・・→ 『百人一首の謎を解く』 Q&A

・・・・・→ 書評、紹介、インタビューなど一覧

 

本研究所主宰の新刊です。

百人一首の謎を解く帯つき

百人一首の謎を解く (新潮新書) 新書 – 2016/1/15

アマゾンのページ (^_^) ※うそ800円より少し安い799円です

誰が何のために作ったのか、実は確定していないのが『百人一首』です
たとえば、よく代表作が撰ばれていないと言われますが、それはなぜなのか?
そういえば、『百人一首』には神様や、仏様の歌がないのです。それはなぜなのか?

『百人一首』のもとになるものを藤原定家に「発注」した人と、それが飾られていた「場」に注目することで、謎が解けるのです。

次の三つの疑問については、「定説」があります。普通は鎌倉時代の末に、藤原定家が小倉山の麓のわびしい山荘で、秀歌撰として作成したということになっています。しかし、これはマチガイなのです。『百人一首』は、少なくとももともとは、秀歌撰ではありませんでした。そしてこれを秀歌撰風にまとめたのは、藤原定家ではありません。

1 いつ出来たのか
2 誰が作ったのか
3 何のために作られたのか

注目すべき疑問に次のようなものがあります。実は今までないがしろにされていた点です。しかし、『百人一首』が秀歌撰だとすると、これはおかしくありませんか?

4 神様や神話時代の歌、また仏様、高僧の歌がないのはなぜか
5 賀の歌、釈教の歌がないのはなぜか
6 不幸な歌人が多いのはなぜか・幸福な歌人の歌が少ないのはなぜか
7 和歌史に残るような実績のない歌人の姿が見えるのはなぜか
8 「よみ人しらず」の歌がないのはなぜか

その歌人の有名な代表作が入っていないという疑問もよく指摘されます。
大伴家持にしても、在原業平にしても、菅原道真にしても、その撰歌は永く疑問とされてきました。誰かがその理由について仮説を提出しなければならないところです。

9 その歌人の代表作が選ばれていないのはなぜか

専門家には良く知られているのですが、『百人一首』に見える後鳥羽順徳両院の歌が入っていない別バージョンである『百人秀歌』が発見されていて、現代に伝わっています。なぜ二人の歌が加えられた(あるいは削除された)のでしょうか。

また、どっちが正しいバージョンなのでしょうか。そしてこうした状況になった経緯はどんななのでしょうか?「定説」では『百人秀歌』が「下書き」で、『百人一首』が完成品とされています。筆者はこれもマチガイだと考えます。

10 後鳥羽院、順徳院の歌は、なぜ入っているのか
11 『百人秀歌』と『百人一首』の関係はどのようなものなのか

現在の通説は戦後に形作られたものです。果たして時代の影響はなかったのでしょうか。

12 近代の研究者は、なぜ『百人秀歌』・『百人一首』の理解を誤ったのか

拙著の惹句に、「長年未解決だった12の謎に明快な答えを示す」とあります。
「快作!」かどうかはとにかく、本書は、これらの疑問に、矛盾の無い見解を提示しています。
「信じるか信じないかはあなた次第」ですが、否定したい方は、私の回答とは異なる別案で、上の疑問に答えて欲しいと思っています。

たとえば、家持の歌はなぜ三絶と言われた名歌ではなく、「かささぎのわたせる橋」なのでしょうか。久良岐古典研究所では、拙著に基づいて、その理由を推測しています。
(ページにリンク)