3 木々の葉が腐る杜

藤原定家『藤川百首』の夏歌から「森五月雨」です。
(前後しましたが、このサイトでの藤原定家歌の番号は、藤原定家全歌集の番号です)

 

侘び人の干さぬためしや五月雨の雫にくたす衣手の杜   三五八八

 

一見、なんということのない歌のように見えます。
「さみだれの雫に衣の袖を腐らせる衣手の杜は、侘び人が涙に濡れたまま乾さない袖の実例だろうか」(久保田淳『藤原定家全歌集』)と現代語訳されています。

さて、ここでは「衣手の杜」が出てきますが、これは当然歌題の「森」から思いついた歌枕なのでしょう。
では、「衣手の杜」を定家はどう歌ってきたか検索すると、二首しかないようです。

夏木立緑の色に染めかけて裏珍しき衣手の杜  三九八八 三百六十番歌合 夏部

この「杜」は夏木立で、その色彩の変化が「裏珍しき」と歌われます。衣の裏であり葉っぱの裏なのでしょう。

浅緑木の芽春雨吹き乱り薄き霞の衣手の杜   三三六二 四季題百首 四季杜 春

こちらは「木の芽春雨」とあり、(2)の歌でも引いた歌です。浅緑と、薄き霞と、やはり色彩の美しさが繊細に歌われます。

衣手の杜は、京都の西、松尾社のあたりだとされ、「山姫」の衣とされて、紅葉の錦が歌われることが多いようです。秋の立田姫が歌われることもあります。
ところが定家は、夏木立や春雨の杜を歌うのであって特徴的です。俊恵の『林葉集』や、次の千五百番歌合の家長の歌にも、夏歌として衣手の杜を歌った例が見え、新古今時代に夏歌として仕立てる流行の兆しがあったとも言えましょう。

春のいろのなごりもさらに夏たてばみどりにかふる衣手のもり 六一九

春の女神の衣の布地の色彩と、それが衣替えによって夏らしい色彩に変わるという歌です。
定家の場合も、家長らの場合も、「衣手の杜」と言えば「緑」や「紅葉」の色彩なのです。
ところが、藤原定家『藤川百首』のこの歌には色彩感がありません。
あるのは朽ちて褐色になっているであろう「侘び人の衣」ではないけれど、その衣手の杜、です。しかし、五月の森は、決して褐色に朽ちたりはしません。定家の「夏木立緑の色に染めかけてうら珍しき衣手の杜」のように、雨に濡れれば濡れた葉の色彩が鮮やかになるのではないでしょうか。

この歌では「くたす」とあるので、朽ちている景(または朽ちるであろう幻影)なのでしょうが、五月雨のために森の緑が朽ちたりはしないと思うのです。

それから、「乾さぬためし」とは何でしょうか?
久保田氏は、「侘び人が涙に濡れたまま乾さない袖の実例」としますが、そういう侘び人は、どこにいるどんな人なのでしょうか。
悲しみのあまりの深さに茫然として、涙を乾したり、袖を乾かしたりもできない「侘び人」を想定するのでしょうが、それは誰なのでしょうか?何を侘びているのでしょうか?

千載集に俊頼の歌があります。

おぼつかないつか晴るべき侘び人の思ふ心や五月雨の空 千載 夏

その侘び人が晴れを待っています。それがいつになるのか分からないし、また侘び人がなぜ侘びているのかよく分からない、と歌っています。その分からなさが、はっきりしない五月雨のようだというのです。

もう一首、やはり俊頼の歌が千載和歌集にあります。
阿弥陀の十二光仏の御名を詠み侍りける中に 源俊頼
侘び人の心のうちをよそながら知るや悟りの光なるらむ 千載 釈教

これは釈教の歌で、侘び人の心の内とは、無明の闇に惑う衆生の心中ということです。それを阿弥陀如来は知っていらっしゃると歌います。

道真の歌では「袖の涙」が歌われますが、これは左遷されて流離する自身の涙が投影されたと読むべきなのでしょう。

草葉には珠と見えつつ侘び人の袖の涙の秋の白露 新古今 秋下

また定家が新勅撰和歌集に撰んだのは次の歌です。

侘び人や神無月とはなりにけむ涙のごとく降る時雨かな 在原元方 冬

時雨を、誰とも知らぬ侘び人の涙と見立てます。
いずれも(なにかの理由で)悲しみを心に抱えている人と言うことで、漠然としていますが、それはそれで無理はないように思えます。

定家の侘び人も見ておきましょう。

侘び人の我が宿からの松風に歎き加ははるさ牡鹿の声  五四五 重奉和早率百首 秋 鹿

定家の侘び人は、「松風」を我が宿から吹くと言っています。つまり彼は誰かを待っているのでしょう。待ち人の来ない歎きに、秋の夜に寂しさを添える「さ牡鹿の声」が加わるのです。
さて、問題の藤原定家『藤川百首』の歌です。

侘び人の干さぬためしや五月雨の雫にくたす衣手の杜

この歌では衣手の杜が五月雨の雨滴に朽ちています。すでに述べたように、五月の雨に腐る青葉はありません。植物学的にです。

また、侘び人がことさらに涙をぬぐわないというのも、どんな「ためし」によるものか、今のところ不明です。貞永元年(一二三二)七月の光明峰寺摂政家歌合、つまり藤原道家の歌合に「寄衣恋」として、信実の歌があります。

 

須磨の海人のしほたれごろも朽ちねただ干さぬためしの名さへうらめし

 

「しほたれ衣」という名さえ「うらめしい」と言うのでしょうか。海人の衣だから干しているいとまがないというのは理解出来ます。この歌と藤原定家『藤川百首』の歌は、どちらが先行しているのでしょうか。もし信実歌が先行しているとしたら、定家はその影響を受けたのでしょうか。
なお、この歌合では、定家も「干す暇もなし」と歌っています。

 

秋草の露わけごろもおきもせずねもせぬ袖はほすひまもなし

 

これは、「起きもせず寝もせぬ袖」だから、干す暇もないということでしょう。これも分かります。

これらの歌と比べて、海辺でもなく、「起きもせず寝もせぬ」わけでもない「衣手の杜」の侘び人は、どこが干さぬ「ためし」なのでしょうか。

また、この歌の「話者」は誰なのでしょうか。「衣手の杜」を見ている人であることは確かなのですが、それが「ためし」なのだろうか、と歌っているとすると、それは「侘び人」本人ではないようにも思えてきます。

すると、それは架空の「侘び人」を気の毒に思いながら、歌枕を探訪する風流の人ということになるのでしょうか。

青葉のまま朽ちる木々の葉も美しくないのですし、それがどういう「実例」なのかもよくわからない。
この歌、私には意味が通じているようには思えないのです。こんな歌を藤原定家がつくるでしょうか?
さて、皆さんはどう思いますか?

2015/06/19

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