獄雨の完調日記 2

2015年7月4日

高橋智『書誌学のすすめ-中国の愛書文化に学ぶ-』を読む。

もう三十年以上も前、大学院生だった頃、指導教授の勧めで日本書誌学の総本山、慶応大学の斯道文庫に週一回通うことになった。書誌学のイロハも分からぬまま、慶応大学図書館の地下室にある厳重な扉を二つ開けて、恐る恐る中を覗いた彼の日の記憶は、今でも私の中に鮮明なまま残っている。

そこでお会いしたのが書誌学の巨星阿部隆一先生であり、今、作家、国文学者として天翔ける活躍をされている林望氏であった。私は、お二人からは終生忘れ得ぬ学恩を蒙った。ここでそれを書きだしたらきりがないし、またそれは私個人の問題でもあるので人前で話すようなことではないけれども、一つだけ、お二人から肝に染みわたるかの如くに学んだことがある。それは書誌学が極めて論理的で合理的な学問であるということであった。

たとえば、本の書名はなぜ「内題」から取らねばならぬのか。阿部先生が、多くの事例を上げながら、この点を諄々と説かれたことがあった。要するに、長い時間、様々な風雪に耐えて生き延びてきた本、その状態の中から、本来の書名を導き出そうとするなら、その残存確率の最も高い箇所が「内題」であるということなのだ。私はそのお話を聞きながら、その背景に数千年に及ぶ中国の書物の歴史が横たわっていることを知った。と同時に、この風雪の中で鍛え上げられた厳しくも美しい論理こそ、書誌学という学問の骨頂であることも知った。

その後、あまたの文献学や書誌学と称するものに接する機会があったけれども、その多くは対象たる文物に耽溺するばかりで、少しも「理」が導き出されることなかった。まさに玩物喪志の類いと言ったら申し訳ないが、そう感じるしかなかった。それらへの失望もあって、私は大学に就職した後、書誌学からは離れることになってしまったが、この書誌学=論理学という図式はずっと脳裏から離れることがなかった。

ところが昨年、高橋智著『書誌学のすすめ-中国の愛書文化に学ぶ-』(東方書店刊、2011年)を読む機会を得た。高橋氏は現在、斯道文庫の教授で阿部隆一先生の書誌学を受け継ぐ第一人者である。一読して、彼の日の阿部先生の言葉の数々が頭を過り、書誌学(中国では目録学と言う)という学問の壮絶さが、ひしひしと、否、ぎしぎしと骨身に伝わってきた。

この本は「書誌学のすすめ」「愛書文化」というエレガントな題名ではあるけれど、中身は堂々たる丈夫ぶりで、高橋氏の書物に対する情熱がふつふつと滾り、氏の書誌学への専心精進ぶりが伝わる。中国では失われてしまった宋版を写し取った『春秋経伝集解』(室町期写本)、その欠巻となっていた最終巻を数百年ぶりに氏が発見した経緯の報告(第Ⅰ部、33頁)、日本軍の災禍を逃れて中国本土から台湾に渡った書物と、その書物を運び果せた学者や職員たちの筆舌に尽くしがたい労苦の話(第Ⅱ部、107頁)、中国の版本文化が生んだ、偽造を越えた再造文化の話(第Ⅱ部、164頁)など、興味尽きない内容が目白押しであるが、特に、最後の中国再造文化の話には驚かされる。様々な災禍に見舞われた中国では、本を如何に遺し未来に付託するかに書物の第一義が求められ、たとえ偽造であっても非難されず、また真偽の鑑定に左右されないと言う。日本などとは大きく違った、歴史との闘いが彼の地では繰り広げられてきたのである。そうした中国の書誌学を踏まえて、では日本は、朝鮮はどうなのか。そうした視座が否応なしに求められてくるのである。

このような本書を踏まえてみれば、昨今、どこぞの国で喧しい人文学の実学化への議論が、極めて薄っぺらいものであることが分かる。知識を後世に伝えることが如何に難事業であるのか。自然災害、特に直下型の大地震や津波が予想される日本ではこの点について特段の注意が必要であるし、またそのための教育もしっかりとしなくてはならない。東日本大震災で図書館の復活に向けて血の滲むような努力をされた方々の苦労を対岸の火事としてはなるまい(陸前高田市図書館ゆめプロジェクト等)。国際貢献とやらのために、外国に軍隊を出しておせっかいをしているヒマなど今の日本にはないのである。

それはともかく、高橋氏のこの著作との出会いは、ここ数年の心躍る事件であったが、また高橋氏が私と齢を同じくすることも知った。自らの馬齢を恥じるばかりの事件でもあった。

gokuu01

染谷智幸(そめや・ともゆき)俳号は獄雨、切枝凡

専門は日本文学(江戸時代)、日韓比較文学

写真(著者撮影)はヘルシンキの小便爺さん、シュールである

 

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