完調日記12
完調日記(2010/07/19)
テーマは、奎章閣に行ってみよう、その2である。
ソウル大に併設されている、奎章閣、これ「キュウジャンカク」と読みます。日本語読みして「ケイショウカク」でもかまいません。ただし韓国へ行ったら通じませんが。
奎章閣は王立図書館で、朝鮮時代の1776年、正祖(チョンジョ)という王様の時代に、昌徳宮という王宮の敷地内に設立されました。ま、韓国随一の図書館と言っても良いかもね。
朝鮮の王宮は景福宮と昌徳宮があり、景福宮は主に歴代の王が政務を取り仕切るところ、昌徳宮は中殿(王の正室)を始めとする女官たちが居る私的な場所なんだけど、この1776年には景福宮は使われていなかったんだね。あの日本の豊臣秀吉が文禄慶長の役(韓国では壬辰倭乱って言います)で焼けてしまったので、使えなかったわけだ(この景福宮が使えなかったというのは、実は大変大きな影響を朝鮮王朝に与えたんだけど、その話はまた別に…)。
この奎章閣には、中国や朝鮮の貴重な典籍が収蔵されていて、朝鮮時代の政治家たちが政策立案のために使ったわけです。今ではソウル大学校へ移り、1990~92年には大学の中央図書館から独立して、少し離れた今の場所に移転しています。
http://kyujanggak.snu.ac.kr/(公式HP、ただし韓国語です。英語でもOK)
その典籍の代表が、朝鮮王朝実録です。
この実録は朝鮮時代の初代太祖の時代から哲宗までの25代470年間ほどの歴史的事象を編年体で編纂した漢文記録です。全部で1076巻もあるんです。
この実録がすごいのは分量や内容もさることながら、その記録が権力者である王様が死んでから書かれたことです。王が生きているうちには編纂されなかった。何故かって?
だって生きているうちに書き始めたら、王にとって都合の悪いことは書けないでしょう。そうした客観性を保つための措置だったわけです。科挙という人材登用制度を持ち、文官が政治権力を握り、文章こそ国の根幹と考えられたからこそ出来た、理想的世界です。この実録をユネスコが世界記憶遺産に認定したのも、なるほど、と思われるわけですね(2013年6月の状況として、この世界記憶遺産に韓国では11件、日本では3件認定されています)。
こうした点からすると、よく政治家の回顧録って出ますよね。あれがいかに怪しいかが分かります。都合の悪い部分はみんなカットされちゃってるでしょうね。
この王様だって排除するという強い姿勢は、実は朝鮮文化の基本にあるんです。
たとえば、朝鮮時代の官庁・官職に司憲府と司諫院というのがありました。
司憲府は、当時の政治の実態について調べ議論し、官吏たちの行状・非行を調べ上げてその責任を糾弾する場所です。また、司諫院は王様の行状を調査して諫言することが仕事です。その為だけに置かれたんですね。
朝鮮時代の政治制度というと、ピラミッド型の、上意下達というイメージが強く、確かにそうした部分もありますけれど、下からの突き上げも激しかったんですね。それだからこそ、500年間も続いたということなんでしょう。
実は、前号に紹介した淫談稗説『紀伊齋常談』もそうなんです。この話を読むと、権力者たちがやたらに批判されたり、おちょくられたりしているんです。特に、当時の政治権力を握っていた両班たちなどは、けちょんけちょん にやられています。それはもう、爽やかというか、おぞましいというか、やり過ぎというか・・・。
この、下からの激しい上位批判・非難・風刺。。。
日本ではあまり見かけたことがありません。これが単なる淫談ということではすまない『紀伊齋常談』の魅力でもあるんです。
今回はちょっと真面目すぎましたか…。
染谷智幸(そめや・ともゆき)所属は茨城キリスト教大学文学部
専門は日本文化・文学(江戸時代)、日韓比較文化・文学
父は人形師。その血を受け継いで人形をこよなく愛す。
写真は市松人形