ブログ◆いたちの通帳

当研究所訪問者は、爪痕なり残してくださればありがたいのです。

名前は本名でも別名でも、あるいは変名なり昔のあだ名なり何でも良いのです イニシアルでも可

まあ、どこの誰か、分かる人には分かるようにお願いします。

7618で一番○○だった××です。とか、昭和の末年頃赤羽の看護学校で△△だった□□です。とか

シスターとどうしてもうまくいかなかった金髪の◇◇です、とか、オオミカの旋風とはワタシのことです、とか

ヤマテのメヒョウです、とか・・・

IMG_0001 これは久良岐の郷の菓子店「しげた」の銘菓「久良岐」

IMG_0001_1 そしてフリアンドールの「三殿台の縁」 三殿台遺跡の縄文時代住居跡の三和土をモチーフにしたのだそうです。

ブログ◆いたちの通帳” への13件のフィードバック

  1. 草野さん、『百人一首の謎を解く』、一気に読みました。
    とっても面白かったです!
    有難うございます。
    これまでも、僧侶の歌や歎きの歌が多いのは、蓮生に贈るものだったからだ、ということは、なんとなく言われていたのではないかと思いますが、『百人一首』成立前後の蓮生の動向・思想などを、とても詳しく追われたのが、ご著書のミソかな、と思いました。
    蓮生の寺院建立から中院山荘の姿を推測するあたり、これまで誰も考えていなかったことで、とても説得力があります。
    歌論書などもそうですが、やはり、誰のために、どういう目的で作られたのか、ということは、とても大切だと改めて思いました。近代的な、ひとつの独立した「作品」のようなつもりでいると、つい、そうした視点を欠きがちですよね。

    ただ、まだ、どうしても納得できない点もあります。
    『百人一首』への配列替えを為家がしたというところ。
    歌の削除を為家の所為と考えるとして、『秀歌』の配列をそんなにいじる必要を為家が感じるでしょうか?
    もし、おっしゃるように『秀歌』の配列が素晴らしいのであるなら、なおさら、為家はなるべく尊敬する父の仕事を尊重して生かすような方向に向かわないでしょうか?為家が定家の配列意図を理解できなかったとは思えません。
    『一首』の配列コンセプトは、『秀歌』と異なりますが、その変更ができたのは、やはり本人だからこそではないでしょうか?

    また、ご主旨には関わらない細かなことですが、『無名草子』の作者は俊成卿女ではなく、『風葉和歌集』の撰者は為家ではないと思います。
    いずれも田渕句美子氏に精密なご論文があります。わたしも『無名草子』の作者は、その内容から、恐らく俊成卿女より一世代上の女性であろうと感じています。

    以上、長文、失礼しました。
    今後のご活躍も楽しみにしています!

    1. わたなべさん、おひさしぶりです。詳細な御批評、ありがとうございました。
      これは簡単には答えてはいけないな、と思わせるような質実なご指摘です。
      実は、専門家からの本質的なご指摘は初めてで、うれしいのです。

      わたなべさんは、宇都宮にはお詳しいはずで、彼の地の神宮寺のことなど、いっそ尋ねてみようかとさえ思っていました。

      為家による「改竄」行為については、もうひとつのキモです。私は為家にとってどうしても改竄が必要であったという立場です。それは中宮定子の歌の削除が必須だったのと、百首に丸めたいという要求からです。
      親の作物を改竄するという行為については、定家の『定家卿百番自歌合』の改稿が参考になるかと思います。定家は、順徳院の判を経た撰歌から、平気で歌の出し入れをしています。天皇の顔丸つぶれですね。これは自分自身の作物についてのことでしたが、このあたりの意識は今と少し違うかも知れないと考えています。
      また、為家は、障子の和歌として素晴らしい『百人秀歌』の配列を、王朝秀歌撰として相応な歌集にコンセプトチェンジしたので、為家の中では、むしろ矛盾がなかったのではないかと思います。

      『無名草子』と『風葉和歌集』については、ちとふるい見解によりました。ご指摘ありがとうございます。

      いずれ、ご指摘の一部をQ&Aに組み入れて良いですか?
      『最勝四天王院障子和歌』のオーソリティからのコメント、感謝感激です。

  2. 草野さん、獄雨さん

    先ほどネットで草野さんのインタビュー記事を見つけました。FBでロコ、マリリン、祥子、よっことつながっているので、そこで紹介したところ、ロコがこの研究所を教えてくれました。
    これからページを開いて読ませて頂きます。
    百人一首の見解は面白いですね。今度帰省したら新書を購入します。

    1. モッキさま、みなさま、お久しぶりです。このページもやっとコメントが付きました。自分で書いたの以外で、なんと初コメントです。(^_^;)
      うれしいものです。ここが現在の窓なので。
      なつかしい皆様とFBで連携とのこと、男連中はそういうの恥ずかしくて出来ず、こんなところで連句などしています。古賀さんなどはネットなんか見ていないと言うことですし。
      インタビューはもう出ていますか、自分ではまだ見ていません(^_^;)
      『百人一首』の成立論はたいへんむずかしいテーマで、異論反論いろいろあるところ。
      このページのどこかで答えるのを計画しています。ご批判などどうぞ。
      (草野)

  3. 久良岐の昭和史に6をアップしました。
    明治時代のこともまざっていますが、まあご容赦。むしろ「昭和史」をやめようかしらん
    かつての風光明媚な根岸湾は工業地帯ですが、岸壁にはイソギンチャクがついていたり、フナムシが走っていたり
    フジツボなんかたくさん付いています
    そういえば、かの「タマちゃん」が出没した水系ともつながっています
    昨日、浦賀水道を行き来する外航船をずいぶん見る機会がありましたが、船底にくっついて来るイキモノも結構いるのかもしれません

  4. 久良岐と昭和史の断片、に、横浜プリンスホテルと三島由紀夫について書いたものをアップしました。
    小説『午後の曳航』に出てくる杉田の乾ドックへむけて走る市電はたぶん6番で、それはプリンスホテルの崖を右に見、埋め立ての進む海岸を左に見て小一時間の走行だっただろうという話です。
    このプリンスホテルには、人気のあるベーカリーがあって、ケーキもおいしかったですよ。
    一時は有料の植物園があって、紅茶とケーキのカフェがありました。いつもガラガラだったけど。
    その植物園から山伝いに杉田に出ることもできます。遠回りだけど。

  5. お菓子シリーズ2 三殿台の縁というマドレーヌ
    遺跡三殿台には縄文、弥生、古墳時代の住居跡があり、復元された住居もあります。
    アーモンドなど木の実の味の焼き菓子はその「ゆかり」とか。
    主宰はその遺跡の横の小学校の卒業生です。(岡村小学校)
    フォークデュオ「ゆず」もこの小学校の出身で、菓子店フリアンドールにはサイン色紙なども飾ってあります。
    あ、昨日通ったら、「岡村ムラムラブギウギ」の文房具店「小笠原」は、食堂に変わっていました。
    町内と隣町には昭和史の「大物」のゆかりの地があります。
    それはいずれ

  6. 大岡の和菓子店が「久良岐」という銘菓を作っています。(昨日発見)
    その名も久良岐公園のほど近くにお店がありますが、上大岡京急デパートにも出店があります。
    第25回神奈川県名菓展の菓子コンクールにて優秀賞を受賞したと言うことです。
    しっとりと蒸した皮が、栗を含むあんを包んでいます。しつこい甘さではなく上品。
    上に写真を添えてみます。
    久良木公園から当研究所までは25分ほど、菓子店からはバスで10分(^_^;)。

  7.  散人酒とは・・・
     大きな備前の壺を用意し、そこに肉桂(シナモン)やら朝鮮人参やら適当なものを投入し、焼酎やらウォッカやら、とにかくお酒を適当に投入し、漢方薬風の香りの付いた液体を、壺の下に付いた蛇口から注いで愛飲していた方がいらっしゃいました。
     箱根湯本の洋画家、平賀敬さんです。
     不思議な縁があって、風雅なお宅を訪問した私は、お宅に湧く源泉掛け流しの清冽な湯のような、そのたたずまいに魅了されました。「散人酒」の壺には、書家でもある画伯のお書きになったラベルが貼ってありました。その書き損じがありましたので、お願いしていただいて来て宝物にしているのです。
     平賀画伯は清酒「久保田」の銘を書いた人。お亡くなりになりましたが、お宅は美術館になっています。素敵な奥様が守っていらっしゃいます。なんとお願いすれば源泉掛け流しの湯に入ることが出来ます。温泉付き美術館なのです。
     久良岐でも作ってみようか・・・ラベルもあるし(^_^;)

  8.  「久良岐の散人」とは何ぞや?という質問がありましたので。

     日国大(日本国語大辞典)によりますと、「散人」とは

    (1)役に立たない人。無用の人物。無能な人。
    (2)俗世間を離れて気ままに暮らす人。また、官途につかない人。閑人。散士。
    (3)文人などが雅号の下に添えて用いる語。散士。

     これは主宰に全部当てはまる。ということなのでした。
     ちなみに、「散人酒」というお酒がありました。(以下続く)

  9. 昨日、石神井の土田神父を訪ねてきました。
    新著をお渡しするためです。
    車椅子の神父は時々痛みをこらえていましたのでそうそうに退散・・

    武蔵関の和菓子店で手土産を用意する予定が、火曜定休で大困り(^_^;)
    あまりお好きではないマドレーヌ(ぽあーる)になってしまいました。

  10. その新刊「百人一首の謎を解く」見本刷りを届けてもらいました。
    「快作!」とか、「見破ったり。」とかありますが、これはかけ声みたいな物ですので、うまくノっていただければ幸いです。
    だいたい、定家の企みというより、その息子の為家が「のろい」をかけたのだと言った方が近いのです。
    それから、十六年間で、けっこう論が深化しています。十六年前、学会で話を聞いて首をかしげたままの人は、ちと驚くかも知れません。
    御批正をお待ちしています。
    (主宰 散人)

  11. 本研究所主宰の「満を持した」新刊が出ます(^_^;)
    ページを作りましたのでご参照ください。
    あわせて本サイトのメニュー構成を変えました。安心してください。削除したコンテンツはありません(^_^;)

    思えば最初の学会発表が平成12年・・・それを今出しているわけで、ウィスキーだったらプレミアム物です。
    なにか質問がありましたらどうぞ、です。
    (主宰)

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