むじな谷戸日記

(K)2016/1/8

サイトの構成を変えました。あわせて、ブログを獺祭通い帳メインにしようと思います。

どなたもふるってご投稿ください。

あわせて、この通い帳はしばらくお休みとします。

ただし、不都合がありましたらまた方針変更をします(^_^;)

 

(K)2015/10/26

二ヶ月も留守しました。やはりフルで主夫をするのはチト重かったようです。ようやくハーフくらいに回復しました。

表紙も秋に換えました。ナカミも構成を変えたいのですがおいおい着手します。

獄雨大人のページも増強されているようで、海外?からコメントも付いていました(ずっと気づかなかった。ごめんなさいです)

 

(K)2015/8/18

あれから・・・
準備中の原稿を一つ入稿しました。いずれ報告します(^_^;)
学会の仕事がやっと進展しました。もう少しで入稿です。共同執筆の皆様、ありがとうございます。
そういうわけで、ようやく自由な時間が、と思った時、母上が普通ゴミのフクロを持ったまま転倒。おでこを切って血だらけで助けを求めて・・・
遠方の妹に来てもらって、医者に伴い、脳外科、整形、MRI(脳)、レントゲン(整形)、CT(整形)、整形処置室・・・と経巡り、膝蓋骨骨折と判明(脳出血は大丈夫、ただ萎縮ぎみ)
結局、セミ介護生活が、フル介護(中くらい)に移行しました。
ついでにこのどさくさの中、クルマもバンパーを骨折しました(^_^;)
ギプス生活のためにトイレの床のかさ上げの見積もり、各種介護用品の購入、クルマの見積もりと、多忙です。
いろいろ渋滞していますがご寛恕くださいませ。

 

(K)2015/07/30
いつのまにか獄雨先生がコンテンツを増やしてくれた。311で死ぬ思いをしていらっしゃったとは知らなんだ。

あの日、当方は例の雑用、ではなく、給料をいただくための校務で、卒業式の予行だの当日の打ち合わせに追われていました。
教務課で事務のスタッフとなにか打ち合わせていたら揺れ出した。筑波と二十三区では揺れ方は天地の差で、戸棚のものがおちることもあまりなかった(すこし落ちた)

その後、買い出しに出て、五キロの米などを自腹で購入した。学生有志が手伝ってくれた。
学長に炊き出しを進言したが必要なしという判断だったので、ゲリラで炊き出しをし、有志の先生や学生とおむすびなど作ったのである。(その学長もお食べになった(^_^;)
その後、さらに十キロを買い足し、翌日はトーフの味噌汁を作ることになる。
なお、余震に怯える夜は学生有志(KさんAさん)と、赤○○○と白○○○を、買い出して来たホワイトアスパラだのスパムだのチーズと共に費消しながら過ごした。(なぜ赤白かというと、学生有志が両方と言ったからである)
かわいそうに、本部事務の判断で、帰宅困難の学生たちは畳の部屋で寝ることを禁じられ、固いフロアで一夜を明かしていた。(和室のある三階では余震の時逃げ遅れるという判断)

さて、芥川で女(藤原高子)を背負って越えようとした業平と、『百人一首』が深い関係にあると言うディープな論が稿者の論考にあります。
行平、業平、敏行、陽成院という『百人秀歌』の並びは、いずれも獄雨先生が背負い損なったらしい高子の関係者で、モトカレだの浮気相手だの、隠し子だので満ちています。
いずれも川の流れる歌のお話です。芥川を合わせると川は四筋となります。知りたい人はお問い合わせを(^_^;)。

 

(K)2015/07/20

関東地方では梅雨も明けました。本研究所の画像も梅雨明け仕様に変更しました。

波も砂浜の波紋も、先日訪れた鎌倉の長谷の海岸のものです。

この写真を撮影してから、近くの古いドイツ料理屋さん(シーキャッスル)でアイスバインやソーセージを食べたのでした。もちろん昼ビール。黒ナマビールが格別。

そのあたりは、すなわち源実朝が渡宋計画を立てて陳和卿なる者に巨大な船をつくらせた由比ヶ浜にほど近い場所です。

一度も海に浮かばなかった船は、あの砂の上に座礁したまま朽ちていったのでした。

 

(K)2015/07/12

獄雨こと染谷先生がまたまたコンテンツを増やしてくださった。

今回は、書肆での思わぬ収穫が日韓友好につながる話で、オドロキの巻。

かつて主宰が勤めていたカトリック系の学校では、そういうことをしたら即進退伺いモノでしょう。大目玉間違いなし。

あわせてメニューの修正・整理を行いました。

獄雨先生の分も、私の分も、ブログにしてトピックスを追加出来るようにしようか考え中。

でも、あれを食べた、とか、どこへ行ったというのも、ねぇ、と躊躇しております。

もし、奇特な人がいて要望があれば獺祭通い帳の方にお願いします。背中押してね。

 

(K)2015/07/06

獄雨こと染谷先生がコンテンツを増やしてくださった。

あの不思議な「完調日記」では、「書誌学」という一般にはあまり知られていない学問の、さらにディープな側面と、中国などでのそれが大事に継承された様相が紹介されている。

日本の書籍は、たとえばバチカンの図書館にも所蔵されている。その書籍の来歴を知り価値を確かめるためには、まずはその本のタイトルが検索されなければならないだろう。目録になければないも同然なのだ。しかし、たかがタイトル一つと言っても、そこには数百年にわたる錯綜した世界の蓄積があったりする。その一端は、完調日記に書かれている通りである。「題名」だって単純にはいかない、ページ数を数えるのさえも、プロの知識が必要なのである。
誰かがバチカンに行って、その錯綜した世界を見通せるようなすぐれた書籍目録を作らなければならないわけだが、「日本人」にはその能力がない、としたらそれはさびしい。
そうした能力を備えたヒトは、どこかで養成されなければならない。そこに「国」が関与したとして、なんの無駄であろうか。ということだ。
日本の人文科学は、二〇一〇年頃から、すっかりないがしろにされて、あらかた廃れたので、この図書館の日本関係の蔵書の整理は、おなじ漢字圏の中華人民共和国の学者にお願いした、なんて時代が来ないことを願いたい。
慶応大学の少壮の研究者が、イギリスの大学図書館に所蔵されている日本の写本や版本の調査に派遣されて、希有な体験をしたのが、リンボウ先生誕生のキッカケだった。それはかの『イギリスはおいしい』に詳しい。筆者の周囲にも、同様の任務でイギリスやらドイツやらに赴いた経験を持つ研究者が結構いる。
研究者層の厚みがこうした仕事を支えているのであるが、これが今アブナくなって来ていて、昨今の文科省の方針もさらにそれを薄くする方向を向いているということである。

さて、その林先生と獄雨氏の連句、「大地震の巻」がアップされています。
いろいろな意味で圧巻ですね。特にウラの「縄」から危なくなってきて、逸脱に次ぐ逸脱、変化しないでそこにしがみつく熱心さ。さらには子供が出来たり、韓半島の諸事情が出たり。
まあ、名残のウラの花のあたりで救われた気分。
付け合い、解釈など、さらに伺いたい方は、「獺祭通い帳」でG先生まで問い合わせされたし。

 

(K)2015/06/28

ページ「獺祭通い帳」を設置してみました。
当研究所訪問者は、爪痕なり残してくださればありがたく思います。

名前は本名でも別名でも、あるいは変名なり昔のあだ名なり何でも良いのですが、どこの誰か、分かる人には分かるようにお願いします。

このページのみコメントが通知され、諸手続き(^_^;)の後に表示されます。(所員が慌てて闇から闇に葬る場合もあります(^_^;)

通い帳は、ホントは「着到」にしたかったのですが、誰も知らないでしょうから。あのタヌキが持っているのを借りました。

お名前は、ご自由に

昭和の末年頃戸山の看護学校で△△だった□□です。とか・・・

コメントは、どの研究員宛か明示してください。

G先生、あの時のことは一生の思い出です。とか・・・

 

(K)2015/06/28

読売新聞の特派員さんがオモシロイニュースを出しています。

中国「ニセ大学」ネット上に120校…一斉閉鎖  http://www.yomiuri.co.jp/world/20150628-OYT1T50058.html?from=ytop_main2

筆者もALOとか評価員とかやらされたクチなので、ディプロマミル(と言われる卒業証書販売会社)、については早くから聞き知っていましたが、それはアメリカでの話。

黄河流れる地の「ミル」、学位工場というか、販売所はなかなかすごいようです。3,600円で学位が買えるとは・・・。インチキな確認システムまであるとは・・・

あ、昔取ったなんとかでつい反応してしまった(^_^;) あんまり面白かったので

あ、この研究所もピアな認証評価が必要か?(^_^;)ウソ

 

(K)2015/06/28

染谷獄雨先生の旧稿をアップしました。PDF版をページ末尾にリンクしてあります。ダウンロードする場合はこちらが良いようです。

寝殿造といえば太田静六の本、ずいぶん見たなぁ。古いのにこれがなくてはダメみたいな本です。

必要あって、わざわざ東北は水沢江差まで、NHKが大河ドラマのために再現した寝殿造も見に行きましたが、平安から鎌倉にかけての寝殿造りについての一般の理解はまるで不充分のようです。

あの寒い岩手県の御殿に「襖」つまりカラカミがないとは、考えられません。襖障子は『源氏物語』にも出てきて、鎌倉時代にはもう広く普及したはずです、と、論文でも述べてしまった(^_^;)

白水阿弥陀堂はかつて他ならぬ獄雨先生につれていってもらいました。稿者(K)の新稿(刊行未定)で各地の阿弥陀堂に触れますが、白水の阿弥陀堂を実見していたことは役に立ちました。鎌倉の二階堂(再建計画あり)のヨコも通ったし、このあいだは改修された平等院鳳凰堂にも行ったし・・・

 

(K)2015/06/26

連句の方、もう表六句・・・(^_^;)

みな忙しい?のに(^_^;)

 

(K)2015/06/25

〈連句〉の部を独立させました(わけのわからぬ句は目障りなひとも多いかと・・・(^_^;)

それでも面白がるような奇特な方は、どうぞ勇をふるってご参加ください(^_^;)

出勝ちで、一応、季と月花などは守りたいと思います。

 

(G)2015/06/25

植木鉢あちらこちらに置き換えて  瓜田子

長夜がたりはいくさより孫      獄雨

そういえば、空襲をさけるべく、酒瓶を庭に埋め直している御仁もかつて居られましたな。瓜田子の号、懐かしいかぎり。

(K)2015/06/24

獄雨氏の発句を見て、土佐国の塩崎守拙氏より脇句が届きました。

(ここは連句の部屋だったのだろうか(^_^;)

塩崎俊彦氏は俳文学会の人であります。いずれ何か寄稿してくれるらしい。

 

暗きより久良岐道にぞ炒り新茶   獄雨
やまほととぎすねをのみぞなく         守拙

 

こうなったら第三ですね。

 

植木鉢あちらこちらに置き換えて  瓜田子

 

※三名の変な俳号は、いずれも大学時代からの由緒ある?ものです。

 

それにしても、獄雨氏お気に入りのフィンランドの彫刻家ですが、Tommi Toija Bad Bad Boyで画像検索すると出るわ出るわ・・・

スカート穿いたサカナなんか良いかもです。

フィンランドの彫刻家と言えばムーミンのトーベ・ヤンソンの父親くらいしか知りませんでした。

 

(G)2015/06/24

あのヘルシンキの像ですが、実はよくわからないんです。

で、ちょっと調べて見たら、フィンランドの彫刻家Tommi Toijaの作品で《Bad Bad Boy》(2013年作)と言うらしい。つまり小便爺さんでなく、正統派の小便小僧ということになります。

でも、あのお尻の弛み具合は到底子供と思えないでしょう。

ともかく、ここでは大写しにできないけど、けっこうイチモツがリアルだし、近くにトラム(ちんちん電車)は走っているしで、愉快千万なんです。

像があるフィンランド港を訪れる人は、なぜかあの像が気になるらしく、みんなパシャパシャやってました。また、旅行記をHPなどに載せている人も、必ずと言って良いほど写真を載せてます。

そういえば、日本で開くことの出来ない春画展を世界で最初にやったのはヘルシンキの博物館でしたね(近日、あの細川さんが理事長の永青文庫で日本初の春画展が開かれます、9月~12月)。そうした姿勢と通じるものがあるのかも。

(K)2015/06/24

●常陸なる畏友、獄雨こと染谷氏が楽しい原稿をくださった。自ら研究員も志願してくれました。もちろん無給無報酬(^_^;)

さらに、餞の俳句もいただきました。

暗きより久良岐道にぞ炒り新茶   獄雨

さすがに、「くらき」が、ただ当研究所の所在地の古名だけではないことを読んでいらっしゃる。

アイコンの大津絵の瓢鮎図(鯰をひょうたんで押さえようとしてじたばたしている絵)も、捕まえがたき問題と苦戦する図であります。

しかし、あのヘルシンキの像は何?どういう意味?そのうち伺ってみよう

(ちなみに氏の獄雨という俳号は、西遊記の孫悟空からです。なぜ悟空かって?それは・・・)

 

(K)2015/06/19

●「どう思いますか?3」を追加しました。五月雨の歌です。梅雨の雨で杜の木々の葉が「腐って」色を変えるだろうか?という点が問題となります。

いくら涙が流れても、葉っぱは腐らないのでは?

 

(K)2015/06/15

●「どう思いますか?2」を追加しました。折から梅雨ですが、春雨の歌です。春歌が二首となりましたので、次は夏歌の予定。

近くの久良岐公園では、蛍が飛ぶ季節のようです。

「夜歩き」をしないので見たことはないのですが、すぐ近くの「切り通し」で蛍を見たことがあります。驚いた・・・わりと最近のことでした。

 

(K) 2015/06/11

●ページ、「研究ファイル」をアップし、その下に「草野の文箱」など研究員のコンテンツを表示することにしました。

「どう思いますか?」は、だんだんとシリーズ化する予定です。

(K) 2015/06/07

 

●久良岐古典研究所は「ムジナ谷戸」と呼ばれた「谷」にあります。

今でもタヌキを見たと言う人もいます。

この谷戸の四季などを書いていきたいと思います。